次の時代への一歩。今、農に学ぶことの意味。 - 稲作 田植え 体験や自然農を学べる 農に学ぶ 環境 教育 ネットワーク 寺家ふるさと村

トップ > 代表木村広夫のコラム > 次の時代への一歩。今、農に学ぶことの意味。

代表 木村広夫のコラム

2012.02.25次の時代への一歩。今、農に学ぶことの意味。

photo1.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像
 私がふるさと村で自然農法の稲作をやっていることに興味をもって来るのは、横浜シュタイナー学園を始めとする、教育関係の人たちが多かった。7年ほど前になるが、私が初めて鴨志田中学校で講演をした時のテーマが「農に学ぶ。」だった。この「農に学ぶ。」は、現在のNPO法人の名称になっている。当初「いのちの学び舎」とか「農学舎」とか、塾的なイメージをNPOの名称に考えていたが、この講演を機に、この内容こそがNPOのビジョンであり、中学校の教職員や父兄、生徒たち以外の多くの人に伝えたいことであると、NPO[農に学ぶ。]の構想は固まった。
 農からの学び、気づきを共有し、発信するNPOの拠点が寺家ふるさと村だが、灌漑の設備が整っている横浜市側の「寺家ふるさと村」より、耕作放棄農地を開墾した町田市の三輪緑地側の「天水田」のほうに、学びのための教育的素材は多い。機械が入らない手作業を強いられる稲作を希望する人が多いことでも農に対する価値観やイメージが確実に変化していることが分かる。今、農業に興味を持つ若者が多く、援農ボランティアも年々増えている。それも慣行農法ではなく、有機農法や自然農法にである。また、「農を変えたい!全国運動」のように、農家と行政、大学と地域住民とが一体となり、単なる農業の形態や方法を変えるのではなく、有機農業を中心とした有機的社会づくりへの機運も生まれてきている。

photo2.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像 
 長年自然農法を続けていると、いろんなことに気づき、見えてくるものがある。いかに生産性を向上させるか、また、その中で人と自然がどう関わっていくのかなどと考えていると、「自然を守る」とか、「地球にやさしい」とかいう言葉に違和感を覚えるようになった。地球温暖化による異常気象をはじめ、様々な場面で自然界のバランスが壊れているという話をよく聞くが、結局、環境も自分自身の現れであるから、言い換えれば人間自身のバランスが壊れているということになる。
 私のやっていることを周りは環境保全型農業とか循環型農業とかいろいろ言うが、私がこの仕事に携わり、得た一つの結論は、「自然農法を通して、人としてのバランスを取り戻すこと。」だった。環境破壊とは自分自身の破壊であり、人間一人ひとりの気付き(悟り)こそが、環境問題解決の第一歩だと私は思う。
 自然の営みを注意深く観察することで、多くの気づきに出会える。自然の理(ことわり)の中で人は生かされているということや、自然に対する驚異や畏怖心と同時に、人としての思いやりのこころも育まれる。このように自然から教えられた智恵は、親から子に伝えられ、特に日本の農耕文化(里山文化)として、千数百年以上も受け継がれてきた。しかし、ここわずか4、50年で日本人の生活は一変し、農業の形態も変わり、同時に農の持つ様々な価値観までもが忘れ去られてしまった。それは、欧米がもたらした経済至上主義が原因の一つであることは誰も否定しないと思う。そして、今この時代に生まれ、この地で土を耕す自分とは、いったい何者なのか?私は作業をしながらよくそんなことを考える。江戸の鎖国の時代からキリスト教の伝来、黒船来航、明治維新、世界大戦、長崎、広島への原爆の投下、恒久平和日本国憲法の発布、9.11世界同時多発テロ、リーマンショック、そして未だに"戦後"が続いている沖縄の基地問題。このわずか百数十年の間の流転は、今この時代を生きている全ての人間と無関係ではない。この事実をけっして年表上の過去の出来事、とだけで捉えてはいけない。その時代、時代に生まれ会わせた(会わされた)人間が、智恵を振い、犠牲を払いながら次の時代を創ってきた。
 全ては「いま、ここ」に繋がっている。さあ、次の時代をリアルにイメージし、そのための一歩を勇気を持って共に踏み出そう。
 日々の農作業の中で、こんなことがフッと浮かんではまた、元気を取り戻して土にまみれている。
お申込み・問い合わせ