あらゆる生命と「共存共栄」の年。その一歩へ... - 稲作 田植え 体験や自然農を学べる 農に学ぶ 環境 教育 ネットワーク 寺家ふるさと村

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代表 木村広夫のコラム

2012.10.01あらゆる生命と「共存共栄」の年。その一歩へ...

農に学ぶ。とは?なぜ今、自然農なのか...


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この表題は、今年2月にNPO法人農に学ぶ環境教育ネットワークが主催したシンポジウムに先駆け、農に学ぶ。の紹介を兼ねたパネル展示で掲げたテーマだった。

 農に学ぶ。は、自然農を通して、様々な学びを提供することが目的であり、決して農法の普及を進めているわけではない。そこが、農「を」学ぶ。ではなく、農「に」学ぶ。の所以なのだ。期に触れ、折に触れ、私はこのことを話してきたつもりだが、今一度、はっきりしたことを言わなければならない衝動に駆られている。それというのは、あまりにも、ニュースやテレビの報道で、世の中が行き詰っていることを感じているからだ。

 その一つに、耐性菌による院内感染の報道がある。このことは、今までにも新しい耐性菌が現れるたびに報道はされてきたが、それに勝る新薬がいずれ開発されるだろうと人々は期待をしていた。しかし、事態はスーパー耐性菌なるものを生み出す結果となり、状況はますます深刻になってきた。

 さらに恐ろしいことに、このスーパー耐性菌は、軽度の感染症を引き起こす菌にもこの耐性遺伝子情報を移し、今までの薬(抗生物質)を効かなくさせ、最悪の場合には患者を死に至らせるケースもあるというのだ。これは単にスーパー耐性菌に感染しなければいい、という問題ではなく、そういう菌を生み出してしまうメカニズムを問うべきなのだ。

 慣行農法(農薬などを使う一般的な農法)の世界でも今、同じことが起こっている。除草剤が効かない「スーパー雑草」が現れたのだ。その雑草とは、かつては軽度の除草剤でも簡単に死滅していた「コナギ」という水生植物だ。いずれ、殺虫剤が効かない「スーパー害虫」が出現するだろう。


慣行農法の作物と現代の子どもの共通点


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 人間も自然界の一生命体とすれば、自然の摂理から逃れることは出来ない。言い換えれば、自然の姿にこそ、人が習うべき多くのことが包含されているということだ。

 自然農によって健康な作物が育っていく、その過程の中に、人が、人として、人らしく生きることの意味を大いに見出すことができる。

 たとえば、作物に対する農薬や肥料を、人に当てはめてみよう。慣行農法では、作物が病気に罹らないように、種や土を消毒し、たっぷり化学肥料を与える。これを人間に置き換えると、生まれてくる子どもを無菌室で育て、何種類もの予防接種を打ち、栄養剤を与えて育てることに等しい。

 それが、何が悪い、多くの子どもたちの生命を感染症から救ったのは、近代医学のおかげではないか。そんな声も聞こえてくる。それも事実である。ペニシリンや種痘が初めて発見されたとき、人類は不老不死の薬を手に入れたかのように歓喜し、それを多用してきた歴史がある。

 「緑の革命」(※注)を私はよく引きあいに出すが、一時は、ノーベル賞に値するほどの功労と称えられても、時代と共に、それが不利益となることも往々あるのだ。

 

※注 緑の革命:インドなどの途上国での爆発的な人口増加による食料不足の解決策として、多収穫品種のコメなどを開発して対処すること。単位面積あたりのコメの収量は増加したが、一方で農薬や化学肥料による環境汚染や、農薬・化学肥料を輸出する先進国と、それを買わされる途上国間での経済格差等の問題を引き起こした。


あらゆる生命が共存し合う世の中を


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 先日、NHKの番組「多剤耐性菌に立ち向かえ(クローズアップ現代)」を見ていたが、そこで、ある医者が言っていた。「苦しんでいる患者を見ていると、何とかしてあげたいと思い、抗生物質を過剰投与してしまう」。これは人間として当たり前の行為である。一方で、ある医者が、「抗菌剤の多用が、現在の医療の悲劇を生んでいる」と言うのも事実なのだ。

 これは、医療現場だけのことではない。現在の私たちの生活環境に抗菌剤が、どれだけ多く使われていることか。現代人は、感染症を恐れるあまりに、過剰防衛となり、本来持っている人間の抵抗力をも封じ込めてしまった。

 人は、あらゆる雑菌や新たな菌に対して、多様に変化できる、いわば、抗体予備軍を体内に持って生まれてくる。この抗体予備軍は、赤ちゃんが生まれ落ちた瞬間に様々な雑菌に触れることで獲得することができる。それは、其々の抗体へと変化し、将来出会うであろう、未知の菌への備えとして蓄えられていく。いくつかの予備軍は体内に温存したまま、人は成長する。しかし、無菌状態である病院の分娩室で生まれた赤ちゃんが出会う雑菌は、極めて少ない。体内の抗体予備軍は自分たちの存在意義を失い、わずかに残るか、或いは消滅してしまう。無菌状態での出産が、所謂、抵抗力のない子どもを生み出してしまうという側面がある、と私は考える。

 第一子は弱く、二番目、三番目が丈夫であるという傾向があるのは、兄、姉が雑菌の付いた手で赤ちゃんを触るからという説がある。また、数年前のNHKの番組で紹介されていたが、ミュンヘン大学の調査で、アトピーやアレルギー性喘息の子どもが多い地域と、少ない地域の違いを調べたら、アトピーの子どもが少ない地域では、近くに家畜を飼っていることも分かった。

 何事も偏ってはいけないが、不快を感じない程度に雑菌とうまく付き合うことが大事だと、私は思う。

 2010年は、生物多様性年であり、現在、名古屋ではCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されている。生物多様性の議論が、今、国内外で盛り上がっている。生物多様性とは、根本は「共存」の精神であると私は考える。大は、人種や宗教、イデオロギーに至るまで、小は、微生物や菌の世界に於いても、排他的な考えから脱却し、人類が一歩向上する年であると、私は、捉えたい。


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